釈迦如来
 釈迦は二度生まれ変わったと伝えられている。父(浄飯王)じょうはんのう
母 王の妃(摩耶夫人)の子として生まれた。

 其の居城(カビラブアストウ)はインド国境に近い現在のネパール領にあった。
釈迦の誕生は摩耶夫人がお産を実家でするつもりで 里帰りの途中で産気ずいて
沙羅双樹の下で産み落としたと伝えられている。

 我が国では誕生日の4月8日を記念して花祭りが行われている。 
釈迦は生まれて7日目に母摩耶夫人を亡くしている。

 父浄飯王は摩耶の妹を後妻に迎え 釈迦の養育に当てた。少年期までは
何不自由なく育てられたが 自我に目覚め29歳の時人の一生のはかなさ
苦しみ等から逃れる根本的な道を 模索して修行に出た。  

 出家した釈尊は苦しい修行で肉は完全に落ち骨と皮になり、すさまじい姿に
なっても 釈尊は幾多の誘惑をも乗り越えて悪魔の誘いを退けた。
されど自分の限界を知り其れから 苦行をやめて里に下り 
牛飼いの娘スジャータの介護で体力の回復を測り 静かに瞑想を行うのに適した
場所を探し (尼連禅河)にれんぜんがを目前にした大樹の畔で悟りを開いた。

 其の大樹の名は「悟り」 の源語「ボーディ」

 音写されて菩提となり 菩提樹となる。釈尊は其の郊外でかっての苦行仲間で
あった5人の修行僧(五比丘)びく に向かって初めて 法を説いた。

 この事を「初転法輪」と言う。それ以来釈迦一族や有力な修行者達の参入を得て次第に
成長して行った。 

 大富豪の長者からも広大な土地を寄進され 此処は祇園精舎と呼ばれた所である。

 晩年は布教活動を高弟に任せ 隠居生活をし80歳を過ぎた或る日従兄妹の阿難や
ごくわずかの弟子を伴って説法の旅に出た。

旅の途上鍛冶工「チュンダ」が差し出したキノコ料理で中毒を起こし 息を引き取った。
其処も満開の沙羅双樹の林の中であった。

 この本覚思想なるものを源に向かって行けば「生死(輪廻)即涅槃」と言う「空」思想に
裏付けられた超絶逆転的な発想法にぶっつかる。
空を簡単に説明すると 「分別を離れた」と言う辺りに落ち着くのでしょう。


                                        さっちん  参考書(仏像小百科)春秋社
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